何をやってもうまくいかない無職のブログ

人生終わったニートの暇つぶしそれ以上でも以下でもない

聖人のような主人公が多い理由は、物語を進めやすいから

主人公と言うのはいい奴が多い

 

多くの物語で、基本的に主人公と言うのは正義の人間であり、お人よしで困った人を見るとじっとしてられなかったり、誰にでも優しい人格的にも優れたタイプであることが多い。

だからよく騙されたり、敵の罠にはまったり、人質を取られたりして苦悩することになる。

 そういうのを見て読者は、もっと冷血になって欲しいとか、敵に情けをかけすぎているとか、そのせいで逆転されたりとやきもきする。そしてそんな甘い主人公を見て、作者に文句を付けたりする。なんで主人公はこんなに甘いのか、馬鹿なのか?自分なら絶対許さないのになぜそんな奇麗事を言うのかとケチを付けたくなる。

だからちょっとしたヘイトが主人公に集まったりする。

しかし、主人公が善人であるというのは、実は作者が性善説の考え方の持ち主であるとか、悪を許さない正義感のある人間であるから、とかそういった思想があるわけではないと思う。そもそも根本的な理由は、善人であった方が話になりやすいからである。つまり物語の構造上の仕組みであり、主人公というのは話の中で役目を果たしているだけである。

 

善人であった方が展開を作りやすい

 

よく物語の主人公は、好感が持てる人間がいいと言われている。それは何故か。単純である。もし主人公が変人すぎたり特殊な思考の持ち主であったりすれば、読者が共感できず、話が頭に入ってこないという欠点があるからである。ギャク漫画なら主人公がおかしくても成立する場合はある。だがそれはあくまでギャグと言う人を笑わせるために特化した特殊な作品であるからであり、またその場合は常識人キャラの突っ込み役を置いて、副主人公のような扱いにする場合が多い。

ともかく、ギャグ等を除けば、基本的に主人公と言うのは善人なのである。

ではなぜ善人なのか?子供向けアニメ等では、小さな子供たちへの教育も兼ねているので、善人でなければならないという都合がある。それはそうだろう。子供が悪事を真似したら非常に困ることになる。こういった明確な理由がある。でも中高生や大人が見る作品でも、基本的に主人公は善人であることが多い。大人が見る作品などは、別に主人公が悪党であったとしても、あくまでフィクションであるとわかるはずなため、善人である必要性は無いはずである。しかしそれでも主人公は善人であることがほとんどだ。

これは作品を作る作者たちは、みんな性善説の持ち主とか、奇麗な心の持ち主だったりするのだろうか?いやそういう訳ではない。ただ物語を作るとき、善人の主人公を配置することが、作品として都合がいい。作りやすい。ただそれだけなのだ。

 

悪人は主人公に向いていない

まず逆に、なぜ悪人が主人公になる作品は少ないのか、そこを考えてみる。そもそも悪人と言うのは、悪人と言うから悪い奴だろう。じゃあ悪人がやることは何か?

他人を蹴落とす、他人を奴隷のようにこき使う、理不尽な暴力、盗む、殺人、着服、横領、嘘、裏切り、虐殺・・・・・・

とりあえずこれくらい出てきた。テンプレな魔王のように、世界を支配するというのもある。

では実際にこれを物語の主人公がやればどうなるのか?ふと想像してみる。

物語が始まった時、主人公は悪党なので、他人を信用しないだろう。ここで仲間を作るというのが難しくなる。仮に作れたとしても、利害が一致しているだけの打算的な関係であり、友情などは芽生えない。そんな利用し合っている仲間しかいないので、もし仲間が死んだときも感動を生むこともない。用済みのゴミが消えただけで終わりである。

次に成長について考えてみる。悪人がより上に行く場合、善人がやるような真っ当な努力は取らないだろう。組織で出世するにも、とにかく同僚への嫌がらせ、妨害活動をしてのし上がっていく方法を選ぶだろう。敵を倒す時も、純粋な自分の力で勝つのではなく、毒を混ぜたり、暗殺を狙ったり、人質を取ったり。まぁ卑怯な手を使いまくるはずである。そして卑劣すぎる手で勝ったところで、読者としてはやはり感動できないと思う。だって酷すぎるんだから仕方ない。なんだかんだで、ある一定の正々堂々さが無いと戦いは盛り上がらない。

他にも、悪事というのは地味で陰湿なのが多いという点がある。上司におべっかを使って取り入ったり、こっそり捏造をしたり、お金をちょろまかしたり。そういったところは見ていても地味過ぎてつまらない。ゴマすりをしている主人公なんて見ていて不快だろうし、楽しくもなんともない。善人の主人公のように、努力したり正々堂々と成果を出して認められたりする方が見ていて面白いのである。当然のことだが。

だからこういった悪人のプレイスタイルは、基本的に主人公に向かない。こういった悪人は敵にいたり、エロ同人世界だったりすれば魅力的になるだろう。

 

悪人系主人公も、結局は正義感で動いている。

いやそんなことは無い。悪人主人公でも面白い作品はたくさんあるはずだ。という意見はある。

最近では例えばオーバーロード幼女戦記などである。だがよく読んでいれば、彼らは悪よりむしろ正義感で動いている。

まずオーバーロードだが、中盤以降は確かに魔王のような振る舞いをしているが、実は初期の段階ではただ強いアンデッドの主人公が冒険しているだけである。

主人公のアインズがしたことと言えば、近隣の村を探索し、彼らが困っていれば希少性の高いアイテムを渡して助けたり、冒険者に交じって魔物を退治したり住民を守ったり。はっきり言えば道徳的に正しい行いをしている。他にも最初からいる部下たちがいる。好感度マックスで逆らう事なんて決してしないそんな部下を前にしても、主人公は無茶な命令を出したり、パワハラをしたりしない。彼らの命を消耗品のように粗末に扱ったりせず、きちんと大事に扱っている。これらの点で、悪党では無い、少なくとも悪人プレイはしていないと言える。中盤以降、悪人っぽくなっていったとしても、それは序盤の善人プレイで人気を獲得できたからであり、もし最初から外道であったら人気は出なかっただろう。

幼女戦記も同様である。確かに主人公のターニャは非道で、えげつない事ばかりしている。だがそもそも世界設定が戦時中である。戦争時と言うのは普段の価値観が変わった状態である。戦争では敵兵をたくさん殺すことは正義である。それが戦争というものである。戦争で勝つために色々な方法で敵国を蹂躙していくのは、正しい行為にあたる。そもそも一般の仮想戦記ものでも敵をたくさん撃破したり殺したりすれば褒められるものだ。ターニャも戦記ものの主人公としてなすべきことをしているだけである。

駄目なのは一般市民を攻撃したり、捕虜を虐殺したりすることだが、現実の戦争でもそれが守れている事は無い。リアルでも守れているとは言えないルールなため、実質形骸化している。つまり戦争だから多少は仕方ないというフォローが出てくる。その上で、その辺も作者は気を使っているのか、そういった戦争のルール違反をする場合は色々と正当な理由があった風にきちんと言い訳が出来る状況を作っている。やはり幼女戦記も正義の主人公なのである。

 

復讐系というジャンル

主人公が悪人っぽい作品の中に、復讐系というのがある。それは昔にひどい扱いを受けたから、お返しをするというスタイルである。このタイプの作品は昔から多い。古典でも巌窟王などが有名である。

復讐系の主人公は容赦がなく、さらにコソコソと悪事を重ね、それで昔の恨みを晴らしていく。そういった展開が多い。こうして昔見下してきたやつらを「ざまぁ」できたりする。だが復讐系主人公が悪人プレイをして許されるのは、過去に酷い扱いを受けたという理由があるからである。

もしもこれが、特に恨みも何もない相手に対して行われていたら。別に過去に何もないのに、ひたすら外道な方法で普通の人間を追い詰めていったら、普通にドン引きである。主人公に悪事が出来るのは、「過去に迫害された」という大義名分があるからで、それが無ければただのヤベー奴である。読者から見ても全然楽しくもないだろう。やはり悪人を主人公にするには、正当な理由を提示しなければならないのだ。

 

理想的な主人公の形とは

とりあえず、悪人は主人公に向いていないことはここまでで述べた。だから善人の主人公がいいと私は考える。とはいえ、善人なだけでは主人公としては弱い。そこで、ヒット作品から理想的な主人公を考えてみる。

とりあえず安定のドラゴンボール、ルフィ、そして今流行っている鬼滅の刃の主人公を見てみる。そして人気作の主人公にはある共通の特性があることがわかる。今からその要素を一つ一つ説明していく。

・非常に明るく前向きで、元気である

これは主人公として絶対必要なものであると言える。もし主人公がウジウジ悩みすぎたり、後ろ向き過ぎたら、その時点で話が前に進まない。たまに悩んで立ち止まる事はあったとしても、ちゃんと立ち直る。まぁこれは理由を書くほどでもないか。

・困った人間を見るとほおって置けない

この要素は、物語を進めるとき、非常に役に立つ。もし主人公が他人に興味のない人間であった場合、目の前で誰かが困っていてもスルーしてしまう。そうなってしまえば話が進まない。新しく出たキャラクターの話を聞いてあげないと、この先で行われるシナリオが説明不足で進行できない。急に設定をずらずらと書いても、ただ面倒なだけでウィキペディアを見ているのと一緒になる。おせっかいである方が話としては助かる。やはり主人公には、新しく着いた現地の住民と触れ合い、話を聞き、一緒に悩んでくれた方が物語として面白くなるのである。

・頭が悪いような部分がある

これは現実世界ではマイナス要素に当たる。だが主人公には持っていて欲しい要素である。もし主人公が常に頭が良いと、常に最適解を狙うようになってしまう。そうなってしまえば、敵が何かしらの罠やらを仕掛けたときに引っかかってくれない。きちんと敵の仕掛けに乗ってくれなければいい主人公とは言えない。これはゲームだとわかりやすい。ゲームは基本的に敵がステージに色々な仕掛けを作っている。プレイヤーはその仕掛けを解いて敵に迫っていく。もしステージを無視していきなりボス戦になるとゲームは味気ないものになってしまう。物語としても、基本敵が企んでいる事は成功してくれなければ盛り上がらない。最強のラスボスが復活するとき、無事復活前に阻止しましただと白けてしまう。ある程度敵に付き合ってあげなければ、物語として緩急が無くなる。だから少し抜けてたりした方がいいのである。

・デリカシーが無く、他人の問題をストレートに聞く

これもまたマイナス要素っぽい。だがこれもまた、物語を進めるのには必要な要素だったりする。例えばある味方が過去のトラウマ等で悩んでいたりする。そういったとき、普通なら気を使って触れないようにするのがベストだ。現実ではそうだ。だが物語においては、むしろ積極的に聞きまくった方がいい。なぜなら、主人公が聞いてくれなければ、読者もわからないからだ。これは主人公のデリカシーの無さというよりも、読者の気持ちを代弁しているという点が大きい。悩んでいる友人キャラの話を展開するにあたって、友人が勝手にペラペラしゃべりだすのは不自然でおかしい。だから主人公にデリカシーを捨てて聞かせることで、そのキャラクターの過去を説明することが出来るのである。

 

だから物語の主人公と言うものは善人なのだ

このように、物語の主人公が善人であったり、おせっかいだったりするのは。物語を進めるうえでの合理性を求めた結果であると言える。だから主人公が優しかったり、正しかったり、馬鹿だったり、甘かったりするのは、物語的にはその方が都合がいいからである。作者の思想が関係しているわけではない。

逆に、もし本気で悪人を主人公にしようとするのなら、物語を作るのは相当難易度が高くなるだろう。またいわゆる悪人寄りの主人公と言うのも、世界観の中では正義を実行しているということに気づくはずだ。やはり悪人主人公の場合、一番の根本的な問題、ただ悪事をやっててもつまらないという壁にぶち当たる。悪事をしつつ、見ていて面白い作品を作り上げるのは至難の業であり、茨の道である。もしこの「つまらない」「不快」といった問題を解決できるなら、ぜひ悪人主人公作品を作ってみて欲しい。