何をやってもうまくいかない無職のブログ

人生終わったニートの暇つぶしそれ以上でも以下でもない

全ての物語は、主人公にとって都合のいい世界である。

この世にはいろいろな物語がある。漫画、アニメオリジナル、ラノベ、そしてなろう作品と。

そして大体なろう作品とは馬鹿にされる。理由はいろいろある。オリジナリティの無さ、テンプレ展開、ご都合主義、もっとあるが大体そんな感じの理由だ。

だが自分は、その中の「ご都合主義」という部分に注目したい。なろうは確かにご都合主義だが、では逆になろうではない評価の高い作品は、ご都合主義ではないのか?

確かになろうではない”一般の作品”というのは主人公が努力したり、負けそうになったり、辛い時期があったりと色々と苦労人ではある。

だがしかし、「苦労しているからご都合主義ではない」とは言い切っていいのだろうか?もっと大きな、メタ的な視点から見ると、その苦労もまた、大きな「ご都合主義」の流れの一部と呼ぶことが出来るのではないかと私は思う。

 

「神は乗り越えられない苦難を与えない」という言葉がある。俺は大ウソだと思う。

よく、神は乗り越えられない苦難を与えないという言葉を聞く。それを聞き、元気を出している人達もいる。だが人生終わってるニートの俺の経験から見れば、絶対ウソだと思う(あくまで個人的意見です)。明らかに自分の能力じゃあ対処不可能な問題が積み重なり、それに加えて病気まである。神は明らかに嘘つきだ。こんなのは成功したやつだけの戯言だ!と。

まぁ自分の事は置いておくとして、物語と言うのは主人公に困難が降りかかることが多い。そしてどうなるか?もちろん乗り越える。主人公は相当苦労したりボロボロになったり寿命が縮まったりするけど、きちんと乗り越える。それが当たり前だ。バッドエンド系やギャグ系などの特殊な例を除けば、主人公は最終的には成功するのが確定している。そしてそれを読者も望んでいる。そこにリアルはいらない。たまに逆張り系作品が敢えて失敗させたりするが、ほぼ炎上する。つまり主人公が成功しないという事は極一部の変態を除けば、誰も望んではいないという事だ。

 

主人公が試練や苦難や不幸を乗り越えていく、その過程にはいろいろなイベントがある。中には感動的なモノも。そう、感動的に主人公が試練を乗り越えれば、それで名作が生まれる。人気が出る。

ではなろう系作品はどうか?主人公が大した苦労もせずに苦戦もせずに大活躍して話が終わる。うわぁなんてクソ展開なんだ、と馬鹿にされたりもする。とはいえ、私が言いたいことは、感動作品も、なろう作品も、結局は主人公が対処できる問題しか無いという事だ。普通の作品となろう系の違いは、単なる難易度の違いと言えば分かりやすいだろうか?

普通の熱血系だったりする作品で出てくる試練と言うのは、ゲームで例えれば超ハードモードみたいなもので、トゲだらけの敵がぎっしりいて安全地帯が極端に少ないステージの様なものだ。逆になろう系で出てくる試練は、主人公が無敵アイテムゲットありで落下死もない平坦な道で敵もクソザコしかいない、そんなベリーイージーのステージを歩むようなものである。

普通の作品で感動するのは、超困難クリア者0.001%以下のステージをクリアしたように見えて、見ている人も感動する。なろう系は誰でも余裕でクリアできるようなチュートリアル以下のしょぼいステージをクリアしただけだから、ご都合主義だと叩かれたりする訳だ。

 

だがこれらの差は難易度の違いだけで、物語としては主人公にとってクリアできる難関を用意したことには変わりない。

結果だけを言えば、超難易度ステージだろうが、ゆとり用ボーナスステージだろうが、主人公がきちんとクリアしたという事は変わりない。ではなぜ、これほど評価が分かれるのか。それは先ほどゲームで例えたからわかりやすいハズだ。

普通の主人公はキツイステージを一生懸命プレイして頑張ってクリアしたのに、なろう主人公は無敵とかアイテム持って超簡単なステージをクリアしただけだからだ。これは読者側から見た思いである。つまり主人公が苦労してるように見えない場合、より「ご都合主義」感が増してしまうのだ。普通の主人公も、最終的にはクリアするんだから結局は同じご都合主義のはずなのだが、すごく苦労してた描写や内容があるので、そう見えないだけなのだ。つまり、本質的に言えば「ご都合主義」であることが批判されているわけではない。誰にでもクリアできそうなクソ楽ステージを設置している事が非難されているのだ。

 

主人公の挫折、負けイベント、特訓などは、ゲームバランス調整の様なものだ。バランスが下手だとご都合主義と言われる。

そもそも、なろうに限らず、全ての主人公はご都合主義で、降りかかる危機も結局は主人公にとって都合のいい舞台設定であるというのが私の意見だ。

ではご都合主義と言われないためにはどうすればいいか?ゲームで例えれば、適切な難易度のステージを設計する、レベルバランスの問題になる。では漫画で言えば、主人公にとって、すごく努力して全ての知識と力を駆使して頑張ればなんとかギリギリ突破できた。逆に、ただひたすら主人公を理不尽に痛めつければいいというものでもない。どう考えても無理な困難を突破しても、逆に嘘っぽくなるからだ。そういった適度で絶妙なシナリオ上の障害を作れるかにかかっている。難易度は無理ゲーに近い。だが気合いを入れれば何とかクリアできるかも?そのように読者に受け取らせることが出来れば、それはご都合主義ではなく、努力が実を結んだ成果として評価される。もうなろうとかご都合主義なんて言わせない!

 

適切な苦難と言うものは何だろうか

ではどうすればそんな絶妙なシナリオ展開が描けるのか?それは正直私にもわからない。物語にはそれぞれ世界観があり、設定がある。世界観によっては同じ内容でも難易度が大きく変わってくる。例えば現代社会がベースの物語でスマホを手にするのは非常に簡単だが、中世とかいわゆるドラクエ風世界観でスマホをゲットして来いなんて言われたらチートでもないと無理ゲーである。これは極端な例だが、物語によって主人公の能力も違ってくる。得意なことも苦手なことも様々だ。だから適切な難易度と言うのは、それぞれのキャラや世界観によって大きく変わる。作者は、そういった自分の物語の中で、ご都合主義と呼ばれないような適切な難易度の苦難を主人公に考えなければいけない。

やはり普通に面白い作品を作るというのは、非常に難しいものだと思う。ここまで話しておいてなんだが、バランスのいいシナリオなんて、結局は各自で考えるしかない、申し訳ないが。