ハローワークに行ってきました
遅れましたが、みなさんあけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!
年末~正月にかけて、ずっと鬱々として寝転んでいましたが、とりあえずハローワークに行って次の就職先を探そうと思いました。
ちなみに自分の今までの経験は
正社員:無理
バイト:つづかない
派遣社員:だんだん仕事がブラックになって来たから辞めた
就労継続支援B型:1年くらいやったけど時間の無駄
就労移行支援:1年以上やったけど無理だった
なのでもうほぼ手詰まりなんですよね。自分的にはほぼ最後の望みだった就労移行支援がダメだったんで、ぶっちゃけ働くの向いてない説あります。
就労移行支援をやめた経緯は前の記事です
あとは就労継続支援A型くらいしか残ってないんで、とりあえずハローワークの障害者用窓口で見学の申し込みをすることになりました。
次を就労継続支援A型に決めた理由
まぁ上にも書いたけど消去法ですね。そしてIT系の事業所にしました。
ぶっちゃけ何やっても上手くいかないんだし、折角ならパソコンの勉強にもなるIT系でもやってみるかという軽い気持ちです。
就労移行支援の時にはエクセルやワード出来てたし、延長上なんとかなるやろ的な投げやりな気持ちです。ちなみに自分のプログラムの知識は、ほぼ0に近いです。過去に本買って独学で学ぼうと思ってもモチベーションが続かなくて辞めてますねー。やる気でねえまじで。自分はマジでやる気出すのが下手ァ!!
マイステータスの中で、「ADHD」のスキルが発動してますからね。まじやめて
ちなみに就労移行支援の時は、エクセル以外のプログラミング等も学んでみたかったのですが、教える人がいないのでそこで終わりです。この時は結構前向きで、「SEに俺はなる!」くらいのやる気はあったんですが、プログラム特化の支援事業所じゃないので、それ以上進歩する事無く、やる気も気力も流れました~どぶーん。
あそこはワードとかエクセル基礎ばっかりでした。IT系はレベルは低いです。やっぱり無駄な時間だぁ~
(ぶっちゃけ高校大学時代に習ったPC授業と変わらん。学んだというより思い出したという方が近いな)
就労継続支援A型についてですが、とりあえず来週見学にいって、行けそうなら履歴書やら提出して就職を頑張ってみたいと思いますね!
無理そうだったり、職場がなんかピリピリしてたら辞めとくことにします!
新年の活動報告はこんな感じです!
あとタイトル変えました。去年の俺くんよお、漫画の考察とかそんなポンポンでねえよ。つかマンガ読むのもダリいわ。ゲームもだるくなってるのにネタねえよ。
というわけで「何やっても上手くいかないニートのブログ」に改名しました。
実際上手くいってないししゃーなしです。
とりあえず思ったことをぐちぐちと書いていくスタイルを再開したいと思います。まぁ人生ドロップアウトの負け犬の遠吠えよ
思い出したように、マンガの解説やゲームの感想もたまにはやるかもしれないですから期待しないで待っててください!
新しいブログタイトルについて
気持ち的には、「30過ぎのクソニートが真面目に人生をやり直して就職して年収いっぱいゲットして人生勝ち組になって美人な奥さん貰って勝ち組になるブログ」とかそんな超前向きなポジティブ欲望の化身的ブログタイトルにしたいんですけど・・・・・・自分はガチ障害者ですし何度も何度も人生を失敗し続けているのですし、今年から上手くいくなんて自信はこれっぽっちもないので、経験上の理由から後ろ向きなタイトルに暫定です。
まぁなんか上手くいったらタイトルも変わってくるかもしれません。逆にタイトルのネガティブ度が増したら、お”察し”下さい……。
就労移行支援辞めました!!
病院でコンサータを処方されたので、薬の力で精神を騙し騙しで就労継続支援を12月から再び利用していたのですが、
結局我慢と精神の限界が来たので辞めました!!
一昨日、個人ロッカーに入っていた荷物を受け取って書類にサインして12月いっぱいで辞める手続きをしてバイバイです!
正直一度無理が来て辞める気満々だったのに、病院がコンサータくれたから出来る様になるなんてあり得るわけ無いです!
ぶっちゃけると医師に続ける様言われた時も、私は無理だと言ってました。もう心が折れてし今までの経験上こうなったら終わりだと説明したんですが、病院の先生はそれは「思い込み」だと言って続ける様に勧めて来ました。
でもあまりに熱心だったのでつい自分も「心変わり」してしまい、再び行く事に決めてしまいました。丁度親との三者面談であり、主治医の方が私と母親に色々親身になって下さったので、その義理に応える気持ちも出てきてしまい、再び就労移行支援を続けようとする気持ちが出て来たのです。
で、結局どうなったか?
無理でしたー
いくら主治医の先生が私のためを思っていようが、私の就職を応援してくれてようが、無理なものは無理なのです。
やはり実感しました。
自分の経験と直感>>>>>>>>他人の想定
なのだと!
いくら先生が私のカルテを読んで、私をなんとか就職させようと善意で動いていたのはわかるんですが、所詮は他人の勝手な推測や思い込みに過ぎません。
自分のことがわかるのは自分自身だと再確認しました。
無理は無理、不可能は不可能。薬は不可能を可能にする魔法の飲み物でも何でも無いのです。
一応コンサータを飲んで生活がどう変わったか、実験結果の様にここに書いておきます。
・コンサータを飲んだ結果
12月から再び就労移行支援に通所する様になる際、コンサータを飲んで頑張って行きました。
ちなみにコンサータは強い薬なので、休日である土日は飲まないように休薬日を設けました。
コンサータはやる気を出すのと、逆に精神の落ち込みを安定させる事ができる効果があります。
自分は通所する際、とにかく落ち着くように心を安定させようとしました。
1週間、2週間となんとか落ち着いて出席しました。
しかし、薬を飲まない土日は辛く、反動なのか一日中寝ていました。昼過ぎに一度目覚めてその後夕方までまた寝るといった具合でした。
そして3週間が過ぎました。その次の休薬日である土曜日、ついに自分の精神に限界が来ました。あまりに死にたくなったため、家族に当たり、病院に急遽連れてって貰う事になりました。
やっぱり毎日の不安を、コンサータという強い薬で無理やり誤魔化して行くのは正直無理があったのです。というかコンサータ依存が高まるだけの最悪な日々でした。
それからもう就労移行は行ってません、ていうか行けません。電話して辞めて一昨日手続きに行って終わりです。
こうしてコンサータを飲んで社会復帰するという話は無事失敗しましたちゃんちゃん。
それで今回わかったことは
・コンサータは一時しのぎにしかならないし根本的な解決方法にはならない。
・いくら相手が親身だったり善人でも自分の病気について正確な判断ができる訳ではない。
・一度無理だと解ったものはどうやっても無理
こういう事ですかね。
そもそも就労移行支援は私にとって無理があったのです。
最初の半年くらいはまぁ勉強になります。自分は社会経験がバイトとかしかないので、企業を想定した訓練はまぁ新鮮でした。
で、半年が経てばあとは同じ事の繰り返しでクソカリキュラムに早変わりしてしまいます。クソつまらない内容を座って延々とこなす。毎回新しいことを発見した振りをして感想文を書く。「今回は勉強になった」と嘘の報告を毎日しなければならない。
正直疲れます。
毎日幼稚園の授業に参加している様なものです。いくらコンサータでも、自分を誤魔化しきれなかったみたいです。
「仕事も同じ内容の繰り返し」という意見もあります。
でもそれはきちんとお金のやり取りがあり、会社の利益のために動くという理由があります。
訓練はそうではありません。
一例として「早く仕事を終わらせる」というのがわかりやすいと思います。
仕事で早く仕事を終わらせる事は、いい事です。終われば早く帰れるかもしれないし、他の人の仕事を手伝えるかもしれない。また長い目で見れば出世につながるとかそう言った面もあると思います。
でも訓練で早く仕事を終わらせても、良いことはハッキリ言って無いです。
職員は2時間のカリキュラムの中でとある仕事をやらせようと考えています。そこで早く仕事をして1時間で終わらせてしまうと、職員は困ります。やる事が無くなるからです。これが会社だと次の仕事を回せばいいです。しかし訓練だと次が無いです。仕事内容にいちゃもんを付けられたり自習になったりするだけです。それでいて次に生かせる点などの感想文や反省文を提出しなければなりません。
正直疲れますね。
思えばこう言った無駄骨の積み重ねが就労移行支援に嫌気がさした原因だと思います。
テキパキ仕事を終わらせる訓練を受ける
↓
言われた通り早く仕事を終わらせる
↓
授業時間が余ってしまう
↓
いちゃもんを付けられたり、自習だったり退屈な時間が増える。
↓
嘘でも感謝したり勉強になったと言った内容の感想を書かされる
このつまらない就労移行支援の中身が、私の心を蝕んで行ったのだと思います。一生懸命やってもいい事は無いです。時間ギリギリになる様にわざとゆっくりしないといけない。こんな馬鹿げたことを毎日続けないといけないから、頭がおかしくなって行きました。
こんな無駄な時間は就職の訓練でも何でもないです。ただの苦痛でしかありません。家でゴロゴロしてた方がマシです。
職員も病院の先生も、継続する事で就職につながるとか言ってましたが、苦痛を続けてもなにも良い事は無いです。精神を病むだけで何の役にも立ちません。自分にとって役に立たないものはとっとと打ち切るべきでした。
こんな事になるなら、一度行くのを辞めた時に、そのまま退所すればよかったです。病院の先生が自分に行くように勧めて来たので、逆に不信感を抱かせてくれました。「心療内科も役に立たないな」と言った余計な気持ちを生んでしまったのは悲しいです。
これからどうするか。自分にもわかりません。やっぱり就職は無理なのかもしれないし、短期のバイトをするかも知れないし、就労継続支援A型に行くかも知れないです。A型は空っぽの就労移行と違って給料も出るし、一応仕事なので出来るかも知れないしできないかも知れないです。
とりあえず来年は何かできればいいなと思います。
コンサータ処方されました。
どうも、ひさしぶりです。なかなかブログで書くことが無くて時間が空いてしまいました。
今回の本題に入ります。病院で定期的な診察を受けているのですが、その際にコンサータを処方されました。
コンサータは精神障害と言うより、発達障害、特にADHD(注意欠陥・多動性障害)の方に処方される薬です。
私も昔、ADHDのテストを受けたことがあり、処方されていた時期もあったのですが、その頃は色々あって中断しました。
ですが今回、就労支援事業所で感情が制御できなくなり、カリキュラムに参加できなくなる状態になって、先生からやはり飲んだ方がいいと言われ、処方されました。
それで結局コンサータを処方させてもらうことになりました。コンサータはやはり劇薬らしく、署名カードの記入などの手続きがありました。昔処方されたときはそのようなものは無かったのですが、コンサータの横流しが社会問題等になったみたいなので、今ではこういった厳重な仕組みができたようです。
他に、コンサータは依存性があるので、土日などは休薬日を設けるようにも言われました。
コンサータはかなり効く薬だと思います。自分でも、落ち込みやすさが減った気がします。飲まない時と比べれば、前向きになっていると思います。
また就労支援事業所に、もう一度行くことになりました。
私的にはもう行きたくなかったのですが、病院で強く説得されたので、これも運命だと思って観念していくことに決めました。
正直もうまともに就職は無理だと諦め、1か月くらいずっと行ってなかったのですが、薬の力を借りることでもう一度試してみたいと思います。
もし、結局就職が出来なくても、それはそれで仕方ないと諦めることにします。
これから上手くいくかはコンサータ次第になると思います。キレたり壊れやすい精神もなんとか安定させたいです。落ち着いた精神状態が続くことを願っています。
マリオサンシャインスター120個全クリ達成!!
マリオサンシャイン!ゲット!
ついに!ついにマリオサンシャインの120個シャインコンプリートしました!!
長かった・・・・・・恐ろしき難易度のゲームだった。
64で一番の鬼門だった、ステージで100枚コインを集めるのは楽だった。
64と比べ、サンシャインはステージが落ちにくくなっており、さらにポンプがあるため余計に落ちにくくなっている。
その代わりかもしれないが、途中でポンプを取り上げられ、落ちやすいアスレチック面をしなければならない場所がある。ポンプが無く、さらにステージギミックもマリオを落とそうとしてくる。容赦のないステージだ。
特に、鬼畜だったのが赤コインを集めるステージ。隠しシャインのステージでは、64と違い時間制限がある。アスレチックに加えて時間内に赤コインを取るのはかなりギリギリだった。何度も死にまくった。
他にも青コインが難しい。というか普通気づかない。攻略サイトや動画を見ないと普通のプレイで気付くのはあんなの正直無理だ。
やっぱり一番きつかったのはこの川下りのステージ。
今でももう一度クリアできる気がしない。川の裏から入る裏技があるらしいのだが、それも難しかった。
そして最終決戦。お風呂に入っているクッパ親子と対決だ。
正直かなり弱い。サンシャインはステージこそ難度が高いが、ボスキャラはそこまで強いわけじゃない。ただ、倒し方がわからないときがある(ボスパックン、ボステレサ)ためそういった意味では難しいかもしれない。個人的には最初のステージのボスである、ボスパックンが一番難しかった気がする。
サンシャイン初登場のクッパジュニア。このゲームの黒幕だったりする。というかクッパはほぼ何もしてない。風呂に入ってただけだし。
こうして、無事コンプリートをして専用のEDを見れたので、私としては満足だ。
64、サンシャインとクリアしたので、これからは発売したゼルダ無双を楽しもうと思う。
ギャラクシーも一応120個集めたが、ルイージでプレイをまだやってない。ゼルダ無双が終わったら、またそのうち続きをしようと思う。
無惨様から見る理想的なラスボスの在り方と世界観
鬼滅の刃ブームに便乗して、自分も何か考察してみる
現在、鬼滅の刃は大ヒットしている。そして多くの人がそのヒット理由を解説している。
正直、ヒット作と言うものはよくわからないものだ。必ずヒットする作品を作ることはできない。なぜなら、それが出来るなら商売と言うのはもっと楽にできるはずだ。例えば電通とかが変なブームをわざわざ起こそうとあの手この手で消費者を誘導しようとし、それがバレて炎上したりすることもないだろう。
漫画に限らず、ヒット商品と言うものは運の要素が大きすぎる。まぁまぁ売れる作品とか、定番のものとか言うものはまだ作り出すことが出来るかもしれない。だが社会現象になる大ブームとか、過去の記録を塗り替える新ヒットとか、このレベルになってくると、本当にどういった理由でヒットしたのか、正確な答えを出すことは難しい。いや、そもそも答えがあるのかもわからない。なんとなく流行ったから、流行った。そんな言語化できない理由が原因で大ヒットしたのかもしれないからだ。
こんな記事があった。この人は、アニメ等の解説をしている有名なブロガーであり、この人なりに分析している。まぁ結局見つかることはないと結論づけているみたいだ。確かにわからない。私もそう思う。
それでも一応、自分なりにヒット要因を探してみる。
鬼滅の刃のラスボス、鬼舞辻無惨に注目する
鬼滅のヒット要因はたくさんある。わかりやすいストーリー、王道さ、聖闘士星矢に似てるから・・・・・・・等。様々な解説がある。
だがどれが決定打だったのかはわからない。まぁ多くの要因があると思うが、私もまた、ヒット要因を何か上げていきたいと思う。
それで私は漫画のストーリーを、鬼滅の刃のラスボスである、鬼舞辻無惨と言うキャラクターから逆算してみることにした。
鬼舞辻無惨、略して無惨様は、漫画界でもかなり印象に残る敵キャラクターであると言える。特に、部下に対する理不尽パワハラシーンは鬼滅の伝説シーンの一つである。あそこまで酷いボスキャラクターはそう見かけることはない。
また無惨様はよく、ネットでネタになっている。前述のパワハラシーンだけでなく、自己中心的すぎる性格や器の圧倒的狭さ等のどこか小物っぽさ溢れる性格など、純粋な人気は無いがネタキャラとしては屈指の面白さを持っている。
凄く距離が近い親しみさえ覚える変わったラスボス、無惨様
この無惨様、個人的に思ったのはとにかく主人公と距離が近い。というか初登場が2巻という、ラスボスにしては本当に出てくるのが早い。しかも無惨様は出てきただけじゃなく、出てすぐ主人公と遭遇したのだ。連載2巻で主人公の手の触れられる位置にいるラスボスと言うのは、なかなか貴重ではないかと思う。
普通、悪の親玉と言うものは大体隠れているものだ。普段は屈強な部下に囲まれて手が出せず、序盤は姿どころかシルエットだけだったりして、中盤以降顔を見せ、終盤でようやく主人公と戦い始める。これがよくあるタイプのバトル漫画のラスボスの振る舞いだと思う。
だが無惨様は違う。普通の人間の真似をして普通に街を出歩いていた。そこで主人公と出会った。本当に自由過ぎである。出歩くときに部下すら付けないのは本当に珍しい。ギャグ寄りのなろう系魔王ですらもっと警備は厳重だぞ。
まぁそれは置いておく。もちろんだが無惨様はただ顔を見せに来たわけではない。主人公を見た後、すぐに刺客を送ってきた。そこは一応ボスキャラらしさを見せている。ここで主人公の炭次郎と無惨の因縁が始まるのである。
以降もちょくちょく顔を出す、庶民的なラスボスである無惨様
主人公と遭遇以降も、何かと鬼がやられるたび、部下に八つ当たりをして、読者の中で存在感を示していく無惨様。しかも全ての鬼は、無惨様が直々に手を下さないと生まれないという設定付きだ。つまり無惨様はラスボスでもあるが、下手人でもある。今まで出た鬼は全員、自分でわざわざ血を混ぜて鬼化しているという行動力の凄さである。部下にやらせるのではなく全部自分がやるというラスボスはそういないと思う。
この無惨様の行動は、物語の構成としてとても分かりやすいものになる。とにかく鬼滅の刃の世界では、無惨様を倒さなければ鬼は消えない。逆に言えば無惨さえ倒してしまえば鬼はいなくなる。主人公や仲間たちにとって見れば、無惨を倒せば全て解決する。この超わかりやすいストーリー構成も、鬼滅ヒットの要因の一つではないかと思う。
もしこれが他のバトル漫画だと、ボスがいて、黒幕がいて、さらに真の黒幕がいたり、色々とややこしかったりする。しかし鬼滅の刃は無惨を倒せばいい。真のラスボス等もいない。最初から最後までずっと無惨がラスボスである。読んでいて、とにかくわかりやすいのだ。
ほぼ全ての仲間の仇でもある無惨様
また無惨様は自分自身しか鬼を作れないという設定の都合上、主人公の家族の仇であることはもちろんの事、他に出てくる鬼滅隊全ての仇でもあったりする。登場するほとんどの鬼滅隊員は、肉親を鬼に殺されたりと悲惨な過去を持っている。そしてその全てがだいたい無惨のせいである。柱や、他の鬼滅隊員にとって、無惨は善悪関係なく、個人的な恨みを持っている。
主人公の炭次郎をはじめ、先輩である柱たちが無惨に激しい感情を持って恨んでいるのも、当然の事であり、読んでいても感情移入できる。
悪のスケールと言うのは大きすぎると、逆に恨めない所がある。国家間を渡るスパイ行為を繰り返したとか、数百億の金を騙し取ったとか、損害規模が大きくなりすぎればなりすぎるほど、悪い奴だとは思うが引いてしまう気持ちの方が大きい。それよりも、殺人を犯したとか、ひき逃げしたとか、庶民でもあり得そうな悪事の方が、感情的になって激怒したりする。最近の事件でも、誰かが数百億横領したとかそういったものよりも、飯塚幸三が車で人を轢いて、すぐ捕まらなかった事の方が正直腹立たしかったりする。まぁそれは置いておこう。
スケールの狭さが、逆に無駄のないバトル漫画に仕上がっている。
また、これまで無惨様がしてきたことを考えると、実はひたすら鬼を増やしていただけだという事がわかる。目的は、太陽を克服する鬼を誕生させるためらしい。そして、それ以上の理由はなかったりする。
他のラスボスなら、鬼が世界を支配するとか、人間たちを滅ぼすとか、色々大きな野望があるのだが、無惨様の目的は純粋に太陽の下を歩けるようになりたい。だから鬼を増やす、ただそれだけなのだ。
どうやっても死なない無敵の体や柱を圧倒する力を持ちながら、何か企んでいるわけではない。古くから生きている割には、日本の政治を裏から操ったりしない。そういった事におそらく興味が無いのだろう。無惨様はとにかく、太陽を克服できる不死身の身体を手にしたい、それ以上の野心は持っていないのである。政治的なことは一切していない。
鬼滅の刃とは、ただひたすら鬼を増やす無惨様と、無惨を倒すために結成された非公式の鬼滅隊、この二つが殺し合う、そういうシンプルな世界観なのである。政府の邪魔が入ったり、権力者の横入りがあったりしない。純粋にバトルだけを見ることが出来る舞台設定、それこそが鬼滅の刃なのである。
純粋にバトルとキャラに集中できる世界観
読者から見ても、バトル展開以外の事を気にする必要はない。大正時代の日本が、当時の軍隊や政治やら世界情勢やらがどうなっているか、鬼滅の刃を見る際に知らなくてもいい。歴史的な知識は全く必要としないのだ。鬼滅の刃では純粋にキャラクターの過去や戦闘シーン、生き様を見ていればいい。
だから誰でも見ることができ、誰でも楽しめて、大ヒットしたのだろう。鬼滅の中で語られるのは主人公や仲間、鬼たちの悲しい過去だったり、兄弟愛だったり、家族愛だったり夫婦愛だったり。また仲間との絆だったりと、どの時代も不変のものである。
政府の陰謀だったり政治の腐敗だったり等、バトルに水を差しそうな要素はほぼ排除されている。そしてこの鬼退治に特化した世界観を作り出せたのは、無惨様のおかげでもある。無惨様が圧倒的な力があるにも関わらず、政治に手を出したり、日本を支配しようなんて大きな野望を持たず、ただひたすら長生きだけを望んでいた。その小物的な思想のおかげで、鬼滅の刃と言う作品はコンパクトにまとまって、かつ全員に見せ場のある素晴らしい作品に出来上がったのだろう。
最後に、鬼滅の刃は引き算の完成形漫画であると言えるかもしれない。
無駄な要素を廃し、物語に水を差しそうな設定を作らず、キャラクターのバトルに集中できる世界観。カッコいいバトル展開。わかりやすい戦う動機、魅力的な仲間と強敵。前向きな主人公と、裏表のない普通に悪くクズなラスボス。また引き延ばしを感じることが無いテンポのいい展開というのも近年では中々珍しい作品であったと言える。
自分は鬼滅大ヒットの要因を、この無駄のなさとテンポの良さではないかと推測している。
神の名前はバンバン使えば盛り上がるって車田先生が教えてくれた
歴史上の偉人や神々を利用した商売方法
唐突だが、あなたはFGOを知っているだろうか?
正式名称はFATE/Grand Order、通称FGO、
Fate/stay night(フェイトステイナイト)と言うエロゲを原作とした、スマホ等で遊べるソーシャルゲームである。
で、どういった内容なのかと言うと、歴史上の偉人や、神々を召喚して、シナリオを進めて仲良くなって、戦う。そして新しい偉人を召喚して、仲良くなって~(繰り返し)
とまぁそういうゲームである。そしてこのFGOはただ歴史上の偉人を出すだけではなく、萌えキャラ化したり、イケメン化させたりするので、「デリヘル偉人バトル」とかいうクッソ不名誉なあだ名を付けられていたりする。名前は偉人で見た目は萌えキャラなものをみんなが必死に集めるから、そういった蔑称が付いたのだろう。
だが、どうしてFGOが(正確に言えばFate時代からだが)、そのように神や英雄の名前をバンバン出しまくったりしているのかと言われると、別に神を信仰しているとか、逆に馬鹿にしているからだとか、そういう訳ではない。答えは単純であり、ただ神の名前とかを使うとインパクトがあって人気が出て売れるから。そう言った商売上の理由が大きいのだと思われる。
古くはリングにかけろの頃から、とりあえず偉人とか神の名前とか出しとけばいいという手法がある。
とても古い漫画だが、ジャンプのバトル漫画には「リングにかけろ」と言う作品(1977~1981)がある。これは今のジャンプのバトル漫画へ与えた影響がかなり大きい、かなり歴史的な価値のある漫画なのだが、現時点では同作者がこの後に連載した、「聖闘士星矢」の方が圧倒的に有名なので、「リングにかけろ」自体はそれほど知名度は高くない。
この「リングにかけろ」そして「聖闘士星矢」の作者である車田正美先生は、とにかくバトルの盛り上げ方が上手かった。そしてインフレの度合いも見事だった。
「リングにかけろ」と言う作品は、一応ボクシング漫画である。つまりスポーツ漫画であるため、バトルとは関係ないように思える。だが途中から必殺技で相手が天井まで吹っ飛んだり、もう完全にボクシングを超越した何かになって、バトル漫画へと進化する。
まぁバトルの内容は別にいい。今回私が注目したのは、新しいライバルキャラが出たとき、もう偉人だろうが神だろうがどんどんぶち込んだことだ。
リングにかけろは最初は、まず日本一になる事だった。日本一になるために日本各地から集まってきたライバルたちと戦い、勝利する。まぁここまでは割とよくある話だ。だが日本一になったあと、世界の強豪と戦う時になった時、車田先生はすさまじい事を思いつく。フランス代表はナポレオンだったり、ドイツ代表にはヒムラー、ゲッペルス、ゲーリングとかいうナチス幹部と同名のキャラがいたり、もはややりたい放題である。とりあえず偉人の名前を出せば強キャラ感もでるし盛り上がるだろうという、娯楽の真理を付いた発想である。そしてギリシャ代表になれば、ゼウス、ポセイドン、ハーデスなど神と同名のリングネームのヤバい奴らが登場してくる。。更にギリシャ神話の神々を倒した後の敵は、ジーザス・クライスト、つまりイエスキリストの英語読みである。つまり主人公はナポレオンと戦い、ナチスと戦い、ゼウスと戦い、最後にはキリストと戦うというすさまじいインフレ具合を起こしている。
やっぱり神が出てくるとどうしても盛り上がってしまう人間の心理
この「リングにかけろ」もそうだが、その後の「聖闘士星矢」にしてもそうだが、神の名前とかを漫画の中で散りばめる手法は、物語を熱くさせるのに非常に有効である。
単純に外国の凄い敵とかよりも、神の名前の敵(もしくは神自身)と戦う方が見ていてワクワクするのが人の性である。まぁこの手法はリングにかけろが最初と言う訳でもないとは思うが、とにかく格の強さを示したいときやスケールを大きくしたいときは神を使うのが便利なのである。
また神そのものを出したりしなくても、技名等に使ったりしてもよい。ナルトでも須佐能乎(スサノオ)や天照と言った技で、なんかすごそうな技だという事が名前だけでも伝わってくるものだ。
やっぱり神は使い勝手がいい
つまりFGOが神やら英雄やらを召喚しまくっているのは、物語の手法としては間違ってもなんでもなく、むしろ王道に近いような気さえしてくる。物語を盛り上げるのに神を拝借するのは、漫画という媒体に限らずとも、古来からギリシャの演劇やオペラなどで使われてきた手法だったりする。そもそもFGOが悪目立ちするだけで、同じソシャゲである「パズドラ」や「モンスト」も神々を出したりしている。それらも独自のキャラ付けやら能力やら自由に作っている。
だから有名な神を使ったりすることは別に悪いことではない。面白い物語を作る時の、単なる手法の一つに過ぎない。うまく使いこなすことが出来れば、物語のいいエッセンスになるのではないかと私は思う。
大阪都構想の敗北を老人のせいにするのは愚鈍である。
少し前にはてなブログの上位にあったので、一応読んでみた。そもそも自分は大阪府民ではないので、大阪都構想なんてどっちが勝ってもどうでもいいと思っていたのだが、この記事を読んで、少し自分の意見が出したくなった。
自分は所詮ただのニートであり、社会に影響を与えられるような真人間ではないため、とりあえず思った事を適当に書きなぐるだけです。
まずは軽く流し読みしましょう。
> 維新運動の創始者であり、5年前の都構想の住民投票に敗れたことで政界を去った橋下徹氏は、一夜明けた報道番組において市民の「変化することへの不安」に敗れたのだと総括しました。
どうやら、この都構想を立ち上げた最初の創始者である橋下徹氏は、このように総括しているそうです。まぁ平たく言えば、大阪の人にとっては別に今のままでも辛いわけではないから、わざわざ変える気が起きなかった。変えると色々めんどくさそう。たぶんそういった理由だともいますね。おおむね正しいと思います。
> 前回からは多少傾向が和らいだものの、20~50代の現役世代は賛成が過半、60代から反対が多数となり70代以上では6割以上が都構想に反対票を投じました。
そして、若者は大阪都構想に賛成し、老人は反対票を投じたとも書いております。つまり、老人さえ少なければ大阪都構想は成功したと言ってるのと同意語ですね。
> 維新が大阪に投入した改革の熱量は、日本の地方自治にかつてなかったものでした。しかし結果から言えば、その熱量さえがこの国に変化を起こすには十分ではなかった。この国の高齢化に伴う硬直化はそこまで進行しているのです。
さらに、大阪都構想への熱意はすごいものであり、日本を変化させるチャンスがあった。しかし全部高齢化のせいで台無しになった。高齢化の硬直が全ての原因だと。この記事ではそう結論付けていますね。
その後、このブログではとんでもない事を言い出します。
> さらに、長期的な意思決定において一票の価値は平等であるべきなのでしょうか。今後50年を左右する問題に対して、70歳の有権者と20歳の有権者の投票価値は平等であるべきでしょうか。大阪の中長期的な未来に大きな影響を受けるはずの子供は選挙権すら与えられていません。実は、現在正当とされている民主主義は、世代間による利害対立を乗り越える術を持たないのです。この構造は、社会保障問題にも、気候変動問題にも存在します。
これはほんとうにひどい。
つまり、70代の有識者の意見などが、20代の有権者の意見と同等であるのはおかしいなんて言ってる。そんな民主主義を根本から覆すような発言を平然と言っているのですよ。これを読んで私は正直ドン引きしました。そもそも今の民主主義のルールは、国民は皆同じ一票を持つのが原則です。選挙権を手にした者なら、若者であろうと老人であろうと一票の格差は同じであるはずです。つまり、老人層の支持を得られなかったのは、老人に対する説得が上手くいかなかったからで、それは維新側のミスであり、大阪都構想反対側の方が一枚上手だったからにすぎません。
ただただ選挙戦略を間違えただけの事を、老人の選挙権を取り上げろやら1/2にしろやら言うのは、もはや民主主義に対する侮辱であり、選挙でズルをすべきだったと言っているのと変わりません。他にも住民投票が間違っていたから悪いという意見まで飛び出してきますが、負けてから言うのは正直ダサいです。と言うかいちゃもんです。こんなものがまかり通るとするならばもはやこれは民主主義ではありません。不正選挙しろと言ってるのと同義です。このお方は、有名人であるらしいので、お願いだから本当に自分の言っているヤバすぎる発言を冷静に見直してみて欲しいです。
> 維新運動の典型的な批判者は、彼らをポピュリズムと断じがちです。維新運動とは、その名から明らかなように構造的な変化を標榜する部分があります。その指導者達は、選挙をしばしば「けんか」や「戦い」に例えます。そこには、「平時の革命」を目指す思想があるのだと思います。
また、このような意見があります。どうやら、今回の維新運動というのは「平時の革命」らしいです。へぇ~「平時の革命」か。で?なにそれ?と私は思います。
そもそも革命と言うのはどの国にしても完全に政府の機能が不全になった状態だったり、支配者層の内輪もめや軍人たちの挙兵によって起こりえます。切羽詰まった状態に発生するのが革命です。そもそも「平時の革命」なんてありえません。なぜなら、平時であるなら、普通に選挙をすればいいだけだからなのです。
> 役所を中心に存在していた既得権の跋扈への怒りをエネルギーに変え、大阪の停滞の核心には府と市の二重行政があると喝破して10年越しの改革を提起したにも関わらず、彼らは敗れた。
こう言っていますが、まぁ既得権益への怒りをエネルギーに変え、10年にわたってキャンペーンを行ったにも関わらず、敗れたというのが事実です。
これって何か見覚えがあるな。そう、あれだ。安保反対運動がちょっとスケール小さくなって暴力が無くなっただけだわ。
彼らも既得権やら反政府やら大きなことを言って、東大を占拠したりと大暴れしましたが、まぁ結局敗れて終わりました。
> 大阪市の行政機構につらなる既得権を維持したい人々と、地名への親しみや、手続きのめんどくささといった理由に敗れたわけです。
まぁここはあってる部分も多いと思います。正直めんどくさいから敗れた、大阪都になった所で急に生活が豊かになったりするのか?いやないだろう。そんな都合のいい話があるかい。そういった有権者の冷静な判断によって、負けたんでしょう。
> 大阪を愛するのであれば、元の利権とイデオロギーが渦巻く大きな田舎に戻して良いはずがありません。日本を愛するのであれば、このまま座して衰退を受け入れることが良いはずがない。
そして最後に、このままだと日本は衰退するだけとか、日本を愛するなら都構想にしなければだめとか。まぁ主語の大きなことを言いますね。
> しかも、日本が直面する課題は多様です。デジタル化を進めて、20年遅れの生産性革命を成し遂げる。戦後最大の経済の落ち込みをグリーン・リカバリーとすることで化石燃料中心にできている経済構造を転換する。いずれも、既得権とのすさまじい戦い抜きには進まない政策です
この辺とか、もう正直大阪関係ないよね。デジタル化を進めるのは自民党の河野太郎が頑張ってるし、化石燃料の転換なんてはトヨタとかの自動車産業の頑張り次第でしょう。つまり大阪が都構想になろうがなるまいが影響なんて0です。阪大で化石燃料以外のエネルギーでも作るつもりなのでしょうか?
はっきり言おう、大阪都構想が成功しようが20年遅れの生産性革命なんて起こらない、化石燃料中心の経済構造も変わらない。そもそもこれは既得権益との戦いなどでは無くて純粋に技術が追い付いていないだけなんだから、大阪が頑張ろうが分野違いなのだ。
まぁ正直言って、この論評はあほくさとしか言えないかな。二度住民投票をやって、負けた。ただそれだけの話だ。これが失敗したせいで日本の成長が終わってしまうとか、バカバカしい。末期のカルトと言ってることは一緒だ。つか世代対決を煽るコラムはあまり好きではないね。単なる言い訳でしかないからだよ。
> 明治維新のヒーロー達については、それぞれの贔屓があるでしょう。高杉晋作や坂本龍馬などの若くして散った人々には特別の魅力があります。権力の頂点に立ちながら、夢半ばにして散った西郷さんの美学にも、共鳴するものはもちろんあります。
最後に、この言葉についても突っ込んでいく。明治維新のヒーローというのは確かにカッコいいイメージがあって、若い人も参加してて子供たちの人気も高いよね。
でもね、高杉晋作にしても西郷隆盛にしても、彼らの上司に当たるそれぞれ各地の大名と友好な関係を築いていたからあんなに幕末で活躍できていたという事を、みんなはどうしても忘れてしまうんだよね。ちなみに坂本龍馬は勝海舟という幕府側のお偉いさんの元に行って学んだりしてる。つまり幕末の志士たちは、自分たちがただ中心となって暴れていただけではなく、それぞれ信頼できる上の人間と一緒になって、無事明治維新を成し遂げたという事実をみんな知らない。彼ら若者だけで明治維新を成功させたわけでは決してない。あの頃もまた、若手の志士と、幕府を倒そうとする年寄りの大名たちが世代を超えて手を組んだおかげで成し遂げられたものなのだ。だから若者は良くて老人はクソだからダメとか言ってる人間には、決して革命は成功できないと私は思う。
歴史を中途半端に学んだ人は、無知ゆえに幕末の志士たちに勝手な幻想を抱き、無知なため志士たちの政治力を軽視する。そして熱量とか言うしょぼい要素だけで「平時の革命」とか成し遂げようとするから、無残に失敗して落ちぶれる。
やっぱり明治維新がなぜ成功できたのか、その一部しか見ていない人間たちにとっては、成功するのは一生無理だと思う。分析力が足りないのではないかと私は思ってしまうね。
維新失敗についてはこれで終わり。政治について語るのは初めてかな。まぁ暇つぶしにすぎないけど。