何をやってもうまくいかない無職のブログ

人生終わったニートの暇つぶしそれ以上でも以下でもない

機能不全家族で育つと壊れる

私は人生で失敗し続けていた。

 

 

 

不登校だったわけではない。毎日真面目に学校に通っていた。

学校でも嫌われていたわけではない、むしろ楽しかった。

受験勉強のノイローゼはあったが、どちらかと言えば勉強はできる方。

お金に困る事は無かった。

大学卒業まで学歴がある。

引きこもり期間と言っても、外出はしていたし友達と遊んだりもしていた。

 

 

私は酷い人生を送ってきたと自負するが、冷静に考えると他の障害者よりも比較的まともだったりする。

むしろ自分より酷い人生を送ってきた人間の方が多いだろう。

じゃあなぜ、大した不幸な過去もないのに、他の障害者は働けて俺はクズニートに成り下がってしまったのか。

 

実はお金にも困らず、友人関係も良好だった私の人生だったが、一つ大きな問題があった。

父親という存在だ。

私の父は、あいつは、はっきり言って人間のクズだった。

というより、あいつもまた障害者だったのだと思う。自覚は無いようだが。

酷いアスペルガー症候群だった。

 

発達障害を持つ親と過ごすというのは、とても辛いものである。

父もといあのゴミは、すぐにキレるし、癇癪を起こすし、少しでも気に入らないことがあれば物を投げたりする。

しかも教育ママならぬ教育パパだった。

小学校から無駄に参考書を買ってきて、毎日強制的に勉強をさせられた。出来なければ暴力も受けた。あまりにも厳しいので毎日大泣きをしていた。

その結果、私は見事な勉強嫌いに育った。勉強が出来たとき、達成感よりも疲労感の方が勝っていた。私が勉強そのものに嫌悪感が無くなるのは、大学を卒業してしばらく経ってからだった。クソアスペの父のおかげで、私は勉強自体に大きなトラウマを持ってしまった。

父がなぜそんなに子供に勉強熱心だったのか。それは実は酷い理由だった。

あのクズが暇だったからだ。無職のゴミだったからだ。

当時、私の父は仕事を止め、無職のゴミの状態だった。生活のお金は母親(私の祖母)から貰ってたらしい。無職で暇だったので、小学生の息子に勉強を強要した。本当にはた迷惑なゴミだった。無職の癖に余計なことばかりしやがった。あのゴミのおかげで俺は自分の勉強への意欲が無くなった。ゴミ無職は大人しく引きこもってくれればよかった。息子に当たるとは親失格だ。

 

だがあのクズ父が本当にうざくて死んでほしかったのは、勉強を強制されたことではない。俺が今でも恨み、一生許していないのは、会話が通じないことだ。その上自分の思い通りにならなければキレる。本当に許さない。

私自身、発達障害を持っているため、小学校時代はなんとか勉強もできたのだが、中学、高校と進むにつれ、自分の学力に限界が出てきた。特に記憶力の無さが悩みだった。学んだことが覚えられないと言う事だ。他のクラスメイトがすぐに覚えられることを、私はいつまでたっても出来なかった。劣等感が溜まっていった。

あとあと考えてみれば、発達障害のせいで短期記憶、ワーキングメモリーが足りないので、考えるのは出来ても物を覚えることが苦手だと言う事だ。

私はそのことについて悩み、どうしても物事が覚えられない、勉強が出来ないので、親に相談した。それが悪夢の始まりだった。

クズの父は、アスペルガーなため、他人の心というのが全く分からないクソ野郎だった。いくら自分が勉強が上手くいかないことを訴えても、それはただ単純に私が努力が足りないだけだと片付けた。それでも出来ないと言うと、キレたり、家を出るように脅したり、本当にクズだった。進路の変更の相談をしても鼻で笑われた。

否定されることがつらかった。何を言っても全部否定された。自分が辛くてもきつくてもあいつには届かなかった。都合のいい事しか聞こえない耳を持っていた。

あの時、殺しておけばよかったと今でも思う。あの男は生きてはいけない奴だった。あいつの事を思い出すたび、殺してやりたくなる。

あの男は馬鹿で、客観的な視点が無い。クソ無能で、自分の息子がつまずいていることも鬱になっていることも気づかない。ただ怒鳴ればそれで解決すると思っている、単細胞のゴミだった。はっきり言って相談する価値のない人間だった。

私が大学を卒業し、終活の時期になっても同じだった。自分がいくら就職が上手くいかない事を説明しても、あのバカには理解できていなかった。それどころか倍率の高い就職先を持ってきて、ここに行けば将来安泰などという、見当違いの事を言うだけだった。そもそも躁鬱病を併発していたのに、まともに働けるわけがないのにそんな訳の分からないことを言うだけである。

それでいてあのゴミは、家ではふんぞり返っていた。自分に少しでも嫌なことがあると叫んだり物に当たったりと、クズそのものだった。力ではかなわないのでDVは無くなったが、それでも家の中の空気は最悪であることは変わらなかった。

やはり殺すべき存在だった。

そうして、私が話を諦め、自分の無職期間が続く中、私としてもなんとか無職を脱しようと思い、発達障害にたどり着いた。発達障害専用の治療を受けたいと思った。そこで気は向かないが仕方なくまた相談ことになった。

それで今まで通り俺の話を聞くことは無かった。あのクズは自分が信じたいものしか信じなかった。

俺はついに我慢の限界に達した。今までの蓄積された恨みが爆発した。あいつを処理しなければ未来は無いと思った。

 

それでどうなったか。

結局俺は父を殺すことは無かった。

運よく両親が離婚したのだ。子供はみな母の方に行ったので、もう顔を合わせることもないだろう。

自分も発達障害であることを自覚して、それ相応の仕事を探すことになった。

まぁ結局全部失敗するんだけどもね。

 

多分もう手遅れだったんだろう。自分がやり直せる段階をとっくに過ぎてしまっていたんだと思う。

ここで私が無事働いて自立できていれば、父から離れて上手くいったで済んだのに。

人生はそう物語のように上手くいかないものだ。

殺人事件にならなかっただけでも良しとするくらいしかないなぁ。