何をやってもうまくいかない無職のブログ

人生終わったニートの暇つぶしそれ以上でも以下でもない

真面目系クズの産まれ方

真面目系クズという言葉がある。

一見真面目に見えても、実はクズだったりする人間の事だ。

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  • 授業は前側の座席に座るが話を聞かず黒板ノートに写すだけ
  • っぽいので教師から期待されるが成績が伴わない
  • 知り合いは割りといるが友達はすくない
  • 人が見ていないところでは底的にサボ
  • 課題などは提出日ギリギリまでやらない、場合によっては終らない
  • 想笑いだけは凄く上手い
  • 親からの過大評価が凄い
  • 宿題はに出すがテストの成績が良くない
  • 真面目系クズ「わかりました」←わかってない

 

こういった例があるようだ。

学校で真面目に授業を聞いていたり、サボっている訳でもないのに、成績が悪かったりする。

だいたいそんな人間の事を指している。

 

唐突だが、私は真面目系クズである。

学生時代、授業はサボらずに出ていたし、バイトでも(病気が悪化したり時間を間違えない限りは)ちゃんと5分前には到着していた。

そうやって真面目にやってはいるが、結局はテストの成績が悪かったり、仕事もまともにできなかったりする。

やはり見事真面目系クズに当てはまる。まぁまともに仕事が出来ているなら、30でニートなんてしていないが。

何故私は真面目ではなく真面目系クズなのか。それは簡単である。できないから、ただそれだけである。

 

では真面目系クズはなぜ産まれるのか

 

私がそうだが、いわゆる真面目系クズと言われている人達も想像だが、最初は普通の真面目な人だったのだと思う。

きちんと授業を聞き、家でも学習し、仕事もメモ取りをして、復習をする。

そんな真面目に生きていた人間は、普通ならそのままいい成績を収めたり、仕事もテキパキとこなし認められたりするはずである。

何しろ真面目に生きているのだから。不良のような真似はしないし、バイトをバックレたりもしない。真面目に生きれば普通にいい人になる、それが通常の場合だ。

だが真面目系クズと言われる人間は、多分だが、いくら自分が真面目に勉強をしたり、仕事をしようとしても、上手くいかない。本人は別に悪意があったり、やる気が無かったりするわけではない。

ただ純粋に上手く出来ないのである。

 

何故そんなことになるのか。

答えは単純である。

能力不足、ただそれだけである。

勉強ができないのは、学習障害(LD)があったり、発達障害があったりするからである。

つまり、学校の先生の話や参考書を見て、真面目にやろうとしても出来ないのである。

学習障害というのは、平たく言えば生まれつき知能が低い事である。生まれつき知能が低い人間は、いくら他の健常な人間のように授業を聞き、宿題をこなしたり、予習をしたところで、決して成績は上がらない。

なぜか、それは生まれつき知能が低いからである。もっと悪く言えば馬鹿だからだ。馬鹿なんだから真面目にやっても頭に入らない。

そもそも人間というのは生まれつき格差がある。スポーツの天才だったり、東大を一発で受かったりする人たちがよくテレビで取り上げられたりする。だがテレビは基本、逆の人間の事はあまり見せてくれない。なぜか、それは馬鹿を見せてもつらい気持ちになるだけだし、笑えもしないからだ。

まぁ少し話がそれたが、もっと簡単に言えば、馬鹿は努力しても無駄と言うわけだ。野球やサッカーで才能がない人間が淘汰されるのと同じように、たかが小中高生の勉強程度でも、付いていけないどうしようもない馬鹿として産まれてしまった人間が確実に存在するのだ。

 

ではここで、馬鹿として産まれてしまった人間がどう思うか、想像してみよう。

周りの友達、またはクラスメートは、きちんと授業を受けて勉強すればテストでいい点を取れる。だが学習障害等の生まれつきハンデを持つ人間にとって、彼らと同じように勉強をしたところで、全然ダメな成績である。悲しいことに。

感情としては悔しいが冷静に考えれば当たり前である。普通の人間と学習障害の知的レベルの差は、極端に言えば大人と幼稚園児位の差が、もっと言えばファミコンとPS4くらいの差がある。人間の成績の能力は脳によって決まる。脳がゴミだと、普通の人間が当たり前にできることが当然できない。

知能やら脳みそやらで例えるからしっくりこない人もいるだろう。

もっと言えば学習障害などの生まれつき欠陥は、身体の障害に例えれば腕や足が無いのと同じである。

腕や足が無い人間に、普通の人のようにかけっこの練習をした所で、走れるわけがない。誰が見てもそうである。この例えはわかりやすい。速く走れるよう車椅子にブーストでも詰むか、ハンデをしなければ同じ土台にすら立てない。

 

これと一緒である。生まれつき学習や発達障害で馬鹿として産まれた人間は、普通に勉強も仕事も出来るわけがない。だが身体障害のように見た目は一見普通なため、何も知らない人は出来て当然だと錯覚する。

そしてできない。惨めな結果をだし、努力は報われず、真面目な心は折れる。

さらに「真面目に生きればなんとかなるという普遍的な価値観」が、ただの大ウソだということに気づく。そう、真面目に生きていられうのはあくまで能力がある人間に限ったことだ。障害者には当てはまらない。

つまり真面目系クズとは、真面目に生きて、結果が出て、よく考えれば真面目に生きた意味が無いことに気づいた人間がそうなるのだ。

 

真面目にやって真面目な人間になれるのは能力が高い人間だけ。生まれながらハンデを背負っている障害者には無理な話だ。障害者の環境は酷いからね。学校もクズだらけ家も毒親まみれ相談できる人、無し!どうやって抜け出せばいいのだ、いや無理だ。産まれ環境全てが一人の人間をゴミにするように動いている。抜け出すことは不可能。

産まれたときからアリジゴクの上に捨てられて様なもの。救いなどない。

 

まぁ私が言いたいのは、真面目な人間というのは恵まれていると言う事ですね。

学習障害でない馬鹿じゃない発達障害もない家庭環境も常識の範囲内、邪魔ばかりしてくるクズ親親戚もいない。生まれつき健常者で、環境も彼を後押しする。家庭ガチャの勝者だ。いい家に生まれいい家族と育ち能力もある。そんな運のいい奴だけが真面目に生きて、運が悪い奴は真面目系クズになる。それで終わりだ。

 

もちろん私も、何度も何度も同じ経験をした。親がこうすればいいと言われ、その通りにした結果、成績はむしろ何もしない方がマシなレベルで下がった。バイト先の先輩が言う事を必死で覚えようとしても、なんかミスをしてしまい睨まれて嫌われる。

 

ああごみ、ゴミ! ゴミとして生まれた私に相応しい結果だ。

ちなみに私は学習障害は持っていないが、発達障害双極性障害を手にしたおかげで、結局は何もできないクズゴミであることは確かだ。

 

はっきり言って無能が真面目に生きる意味ってあるんだろうか?

真面目に生きたのに全然上手くいかない!不良はふざけていてもたまにいい事すれば認められるのに、

真面目系クズは毎日一生懸命生きても馬鹿にされる。真面目にやっていても誰も評価してくれない。真面目にしろと先生が言うからその通りにしたのに・・・この扱いである。

そうなると真面目に生きるということ自体がバカバカしくなってくる。

コツコツ毎日真面目に生きて、それで馬鹿にされる。

何てみじめな人生なんだろう。

 

「真面目に生きれば必ず報われる」「最後は真面目に生きた人間が尊敬される」「真面目にやっていれば必ず結果が出る」

 

プギャーー!!

全部ウソ!なんだよ!道徳なんて一文の得にもならん。真面目に生きていい事なんて無い。それをみな経験で気付いたから真面目系クズになったんだ。

 

私的にさっきの格言を修正したらこうかな。

 

「真面目に生きていても報われることはない。人の成功は才能能力コネ運次第」

「もともと優秀な人間が真面目に生きると尊敬される。無能は良かれとしたことでも嫌われる」

「馬鹿は真面目にやっても駄目。逆に才能があれば適当にやっても結果が出る」

 

これこそが真理。だから真面目な性格なんていうものは、能力があって初めて輝く。

ゴミ人間が真面目にやっても無駄。人の百倍努力しても無能だったら意味なし。努力を続けても結果がクソなら馬鹿にされる。

 

だからな、真面目に生きるなんてのは恵まれた人にとっての言葉なんだ。

私の様な障害者は真面目に生きても馬鹿にされるだけなんだ。だからうんこが真面目に生きてもいい事なんてないよ。

それが真面目系クズである私の結論だよ。どうあがいてもクズ扱いだから、真面目になろうとしても疲れるだけさ。