何をやってもうまくいかない無職のブログ

人生終わったニートの暇つぶしそれ以上でも以下でもない

30にて就職をあきらめた話

私は30を過ぎた。そんな私は家でニートをしている。

そう聞くと皆私がどうしようもないクズだと思うだろう。

 

その通りだ。私はどうしようもない人間だ。生まれてくるべきでは無かったと思う。

弁明になるが、なぜ私が家で無職でゴロゴロしているのか理由を説明したい。

 

ちなみに最初に断っておくが、私は障害者である。双極性障害を患っており、感情と気分の上下が激しく、仕事ができない。正確に言えば継続してできないというのが正しい。

さらに発達障害もある。生まれつきADHDの傾向がある。ADHDとは注意欠如・多動症の事であり、落ち着きがない。注意が散漫である。集中が続かないという欠点を持っている。

生まれつきADHDである上に、精神病として双極性障害を患ったせいで、余計に気分の上下が激しくなっている。ちょっとのことで落ち込みやすく、物事が続かない。

 

私にはこれらの生まれ持った欠陥と病気があるのだが、一応それでも働こうとした。

新卒の就活はちょうど病気が酷かった時期だったので失敗し、しばらく引きこもっていたが、やはりこのままでは駄目だと思い、バイトから始めることにした。

あの時は30過ぎても無職になる事を恐れていた。このままでは自分が本当に駄目な人間になるとわかって、とりあえず就労継続支援B型事業所から始め、それからバイトや派遣から始めてみることにした。

 

そしてバイトや派遣をやって、30が過ぎた。結果として現在、結局自分は働いていない。

はっきり言って全て上手くいかなかった。

バイトは精神の上下が激しすぎて続かない。派遣も短期間なら何とかなるが、続くとやはり精神がおかしくなって駄目になる。

あまりに働けないから正規労働は諦めて、障害者枠で働こうと思い、B型事業所や、就労移行支援事業所に行っても見たが、無理だった。

B型事業所に行ってもゴミのような値段のお金しかもらえない、正直交通費の方が金がかかるから行くだけ損だ。しかもここでの経験が就職に生きるわけでもない。そりゃそうだ。ただしょぼいパンを作ったところで働けるわけがない。

最後の望みで就労継続支援事業所に行ったが、そこでワードエクセルやSSTとかいう社会で役に立つテクニック等を教わった。だから何だというのだろう。

はっきり言えば自分は社会でどう対応すればいいか、言われればわかる。その言われれわかる程度の内容を1年以上続けてやらされる。正直飽きた。つまらない。ワードエクセルもそんなに難しい内容ではない。せいぜい数か月でマスターできる程度のレベルの低い内容だ。そんなものを毎日やらされると頭がおかしくなる。

行き始めは学ぶことがあってよかったが、時がたてばすでに分かったことをずっと繰り返すつまらない場所になる。その上就職は見つからない。そう、いくら学んでも就職できないからただのおままごとでしかない。時間の無駄としか感じなくなり辞めた。

コロナのせいかどうか知らないが、まともな就活ができない。就労支援に行ってるはずなのに就活が無い。自分が求人票を持って行っても取り合ってくれない。そのくだらない状況のせいで私は次第に精神を崩していった。精神が崩れれば就労支援に行くことが出来なくなる。行ったところで内容はクソつまらない繰り返し。余計嫌になる。我慢の限界だった。

 

まぁそういう訳で、自分は色々やったが結局働くのは無理だった。私はなるべく出来ることをやろうとしたが、実を結ぶことは無かった。もう働くのは無理だと思い始めた。

昔は30過ぎて無職はヤバいと思い、必死で就職先やら障害者の支援施設やらに行ったが、結局は30過ぎて無職という運命からは逃れられなかった。

 

私は人生で何度も失敗し、結局成功できなかった。そして一つの結論にたどり着いた。

それは障害が酷すぎれば働くことはできないと言う事だ。

私はワードやエクセルをそれなりに使えるし、タイピングもまぁまぁだ。電話の受け答えも出来るようになった。だがそれが出来たところで働けるわけじゃない。PCスキルは就労の決定的要因ではない。

問題は障害が酷いかどうかだ。障害の度合いで決まる。軽い人間は就労支援に行けば就活できるだろう。だが自分はそうでは無かった。どんなに努力した所で、障害が酷ければ終わり。特に双極性障害のように、すぐにキレやすい障害を持っていれば人生終わりだ。統合失調症も酷ければ就職は無理、軽ければ可能だ。障害の重度によって決まる。

自分は色々やって、自分の障害がどうしようもなく酷いことを悟った。だから就職は諦めることにした。これからは親のすねをかじって親が死んだらどこかの施設で過ごすか、それとも人生に耐えられなくなって自殺するか。そんな選択肢以外ないみたいだ。

 

だからはっきりと努力というのは無駄だと言える。能力がない私の様な人間が努力しても無駄だ。それに加えて我慢も無駄だ。我慢はすればするほど弾けてキレた時の反動が酷い。結局は怒りを先送りにしているだけにすぎない。

努力できるのは生まれつき人間として最低限の能力を持った者だけ。障害者には無駄だ。正確に言えば軽度の障害者なら支援サービスを利用して何とかなるかもしれない。だが重度になると本当に無意味。特に自分のように発達障害まで持ってる奴は就職自体不可能と言い切っていい。

 

ここで自分に何か特別な才能があれば、一芸で生きていけるのかもしれないが、残念ながらそんな都合のいいものは無い。結局ゴミだ。社会のゴミとしてニートを続けるしかない。

私は何もすることが出来ず、何かをなすこともできない。社会のゴミとして生まれ、お荷物として死んでいく。その運命からは逃れられない。そう、生まれてきたこと自体が失敗だったのだ。

どんな国や社会にもどうしようもない人間がいる。それがまさに自分だった。私がしてきた20代の就職活動は、その結論を教えてくれた。

だから自分はもう人生どうでもいい。親が生きている間はニートをし、親が倒れたらおしまい。それだけの人間であった。まともに生きる道は消えた、というか最初から無かった。ヤケになって犯罪に走らない事だけが救いだ。もう夢も希望もない。

出来ることはゲームとかインターネットで日々の楽しみを探すこと。社会に何の影響ももたらさないだろう。

だからここにブログを書くのは、最後の暇つぶしだ。何もできない、ゴミな自分の言葉だ。遺言に近いのかもしれない。まぁ当分は死ぬ気はないけどね。

余りに惨めな人生を恨んでいた事もあった。いまはただ受け入れるしかない。ゴミはゴミらしく生きるしかない。働けている奴は恵まれているからだ。少なくとも俺に比べては病気もない、障害もない、能力がある時点で恵まれている。だから好きに生きろ。妬んでもしょうがない。生まれもった才能、環境、健康が全てだ。

 

だから世界の健康なみんなは本当は働きたかった俺の分まで頑張って下さい。

俺も本当は働きたかった、これは嘘偽りない事実だ。でも無理だったんだ。だからみんな本当に頑張ってください。私が出来なかったことをして人生を楽しんでください。

人間のゴミからいえることは以上です。ごめんね。